直観とはなにか。

  • 6月 19, 2020
  • 6月 23, 2020
  • 雑談
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直観とは?

直観とは突然にひらめく創造力だ。私たちはいろいろなテクニックを使って、創造性豊かな情報にアクセスすることができる。

一方、直観的な洞察を表す感覚や予感は、洞察や情報を求めていなくても、いつ、いかなる環境や状況でも突然に頭に浮かぶものだ。私は直観的な感覚や予感を神の恵みと見ている。しかし、直観で得られる情報はすでに分かっていることから得たものではないし、論理的な推論によって真実だと確かめられるものでもない。そのため、私たちの頭の論理的な部分は、それに従って動くのがとても難しい。

一般的な反応では、自分が感じているものを真実だとは思えず、それに反論するか、単に無視する。直観に従って動くためには、それをどうすれば信頼できかを学ぶ必要がある。今、あなたはこれらの非論理的な感覚や予感がいかに正確であり得るかを認識できれば、それを簡単に信用できると思っているだろう。

だが、そこが難しいところなのだ。本物の直観は必ずしもではないが、たいていは従来の考えと対立する。対立を解消させるのに必要な信頼がなければ、従来の考えが常に勝つ。そのため、直観から得られる機会を利用「しない」。結果として、「できた」はずのことで後悔を味わうことになる。はねつけたか経験しないようにした直観のなかには、極めて重要なこともある。逃したことを埋め合わせるか、再び後悔しないひとつの方法として、合理的な精神はときどき、ニセの直観を作り出そうとする。

合理的な精神は直観が働いたときの感覚をまねして、あたかも本当の感覚や予感がしたかのように思わせることもある。しかし、それらの感覚や予感は創造性豊かな情報に基づくものではなく、合理的な精神が作り出したものだ。それらは本当の直観ではないので、このニセの感覚に従って動きたくてたまらなくなるとまでは言わなくても、動くのは非常に簡単だ。だが、期待どおりの結果が出たり出なかったりすると、私たちはもちろん失望して、おそらく裏切られたと感じるだろう。本当の直感だと思っていたものに裏切られると、将来それに従って動くために必要な信頼感を養うのは非常に難しくなる。

私はそうなってほしくはないと思っている。私がしようと計画していることは、オンラインのチャットルームを使って、ポーラと一緒にワークショップを続けることだ。彼女はこの本全般の質問や、特に直観の性質について答えるために、これらの概念も研究している。質問に「ライブ」で答えるようにすれば、ポーラと私は質問している人の精神状況に最も合う答えを出せるように最善を尽くせる。私たちは質問をしている人の信念体系に沿った形で、質問に答えたいのだ。そうすれば、誤解や混乱を減らせるからだ。一方、あなたが値動き方向について直観や予感を感じがちであれば、それに気づいたときに書き留めておき、そうでない場合にはいつもの方法でトレードをすることを勧める。